史上初! ウインターカップで高校生レフェリーがホイッスル

コロナに翻弄されたシーズンの最後にサプライズ

 3年になると、三浦君は自分の試合、そして審判と大忙しになるはずだったのだが、大会はすべてなくなってしまった。
「下級生の頃は、実力が及ばずなかなか試合に出られなかったのですが、3年ではレギュラーになれたので楽しみにしていたのです。ところが、新型コロナウィルスがまん延して、何もできなくなってしまって」とやり切れない日々を振り返る。
「それでも秋にサンクスマッチ(東京都で開催されたウインターカップへの推薦チームを決定する参考大会)を開催していただいたので、そこでプレーヤーとして最後の大会に臨むことができました」。
小山台高は5回戦まで勝ち進み、三浦君自身、ある程度納得のいく結果を残すことができた。そして審判としても東京都でベスト8を掛ける試合を担当。高校での審判生活も最後──になるはずだった。
「サンクスマッチを終え、改めて受験勉強に専念するようになりました」と三浦君。小山台高は進学校でもあり、三浦君も難関大学を目指している。そんな矢先、ウインターカップへの派遣が決まった。平原さんは「例年ウインターカップは全国からA級審判が集まって担当し、B級審判が担当するのはほんの一握りなのですが、ことしはコロナ禍でもあり、関東地区だけで審判を割り当てることになったのです。そこで、東京都のB級審判に多くのチャンスが生まれたのです。全国大会は3人制の審判(地区大会などの下位回戦は2人制で行うことが多い)ですが、三浦君は3人制審判の経験もあり、実力も認められているのでノミネートされたのです」と今年ならではの事情を話す。さらに「全国の高校生に、審判としてもチャンスがあるんだということを伝えられるといいですね。プレーヤーとしてやりつつ、興味があればどんどん審判にもチャレンジしてもらえれば。中学生(満12歳以上)になれば資格取得はできますし、若いうちから取り組むことで、より高いレベル、それこそFIBAレフェリーへの可能性も大きくなると思います」と三浦君の活躍を後押しした。
「大学受験も目前に控えてますが、こんな機会は2度とないことなので。プレーヤーとしては出られませんでしたが、審判としてウインターカップのコートに立てるなんて、全国の高校生の中でも、自分だけのチャンスを逃すことは考えられませんでした」と三浦君は挑戦を決めた。そして、毎日夜9時過ぎまで塾で受験勉強に明け暮れる日々をおくりながらも「体力を維持するための走り込みや、練習試合などで審判をさせてもらったりしています」と受験とウインターカップの両立を図り、「高校生ではやっぱりダメだと言われないようにしっかりとジャッジしたい」と高校生審判のパイオニアとして責任感を持って臨んだのだ。

三浦海音君を導いた平原勇次氏(左)と

同じ3年生の気持ちを大切にレフェリーを務め切る

「ウインターカップは3年生の引退がかかっている大会で、僕自身そうした選手たちの気持ちが分かっているつもりです。彼らの最後の舞台が、僕のジャッジで左右されることがないように、いつもどおり、ベーシックにジャッジすることに努めようと思っていました」と三浦君。試合を終えて、自身のジャッジについて聞いてみると「細かなところでの反省点は、後で映像を見直したら出てくると思いますが、一緒に吹いた審判クルーの方々のフォローもあって、役割をこなせたのかなと思っています。時間が許す限り、都道府県予選の映像を観て、スカウティングもして準備してきましたし、昨日も平原先生からも『いつもどおりやれば大丈夫。コートの上では集中して、楽しんできなさい』と声をかけていただき、落ち着いてできたのだと思います」と、まずは合格点だったようだ。
三浦君は12月24日にもう一試合担当することになっている。
「明日で一区切りとなりますが、ここまで来られたのは平原先生をはじめ、これまで指導していただいた多くの審判の方々、周囲の方々の支えがあってのことですから、そうした方々への感謝が伝えられるように、しっかりともう一試合ジャッジして、また受験勉強に専念したいと思います。審判も受験も両立することで、お世話になった方々への恩返しができれば」と、いつもどおりの口調で話してくれた。

2020年12月23日取材
飯田康二/月刊バスケットボール